蒸し暑い夏の夜、出張で地方に向かった私は、仕事を終えて帰りの電車に乗るところだった。
終電に間に合うように駅へ向かい、ホームに着くと、普段とは違う静けさが漂っていた。
いつもは賑やかな駅が、まるで人の気配が消えたかのように静まり返っている。
電車が到着し、乗り込むと、車内もまた不気味なほど静かだった。
数人の乗客が座っているが、誰も話していない。
終電だからだろうと思いながらも、なんとなく不安を感じていた。
電車が数駅進んだ頃、ふと車窓の外を見て驚いた。
見慣れない駅名が表示されていたのだ。
「こんな駅、あっただろうか?」と疑問に思いながらも、特に気に留めずにいた。
しかし、その次の駅も、その次の駅も、まったく見覚えのない名前だった。
不安が募り、私は隣に座っている中年の男性に話しかけた。
「すみません、この電車はどこに向かっているんでしょうか?」
男性はゆっくりと顔を上げ、無表情で私を見つめた。
何も答えずに視線を戻すその態度に、恐怖が一気に押し寄せた。
電車が次の駅に停まると、私は急いで降りた。
ホームに立つと、周囲には誰もいない。
駅名を確認しようと見上げると、そこには「黄泉駅」と書かれていた。
背筋が凍りつく思いで、私は出口を探し始めた。
出口に向かう途中、薄暗い待合室が目に入った。
中に入ると、年老いた女性が座っていた。
彼女は私を見ると、ゆっくりと立ち上がり、近づいてきた。
「お兄さん、ここに来てはいけない。早く戻りなさい」と低い声で言った。
「戻るって、どうやって?」と震える声で尋ねると、彼女は駅の反対側を指差した。
「次の電車に乗りなさい。戻れるのはそれだけよ。」
感謝の言葉を口にしようとしたが、振り返ると彼女の姿は消えていた。
背筋に冷たい汗が流れ、急いで反対側のホームに向かった。
しばらくして電車がやって来たが、車内はまたもや無人だった。躊躇しながらも、私はその電車に乗り込んだ。
電車が動き出すと、景色は次第に見覚えのあるものに変わっていった。
ほっと胸をなでおろし、いつもの駅に着いたことを確認して降りた。
しかし、その時、駅の時計が示す時間に愕然とした。私が出発した時刻から、三日も経っていたのだ。
周囲の人々に事情を説明し、なんとか会社に連絡を取ると、同僚たちは驚きと心配の声を上げた。
警察にも連絡し、私は無事に帰宅することができたが、三日間の記憶は全くなかった。
ただ、あの駅と年老いた女性の姿だけが、鮮明に脳裏に焼き付いていた。
それ以来、私は夜遅くまで働くのをやめ、早めに帰宅するようにしている。
あの「黄泉駅」に再び辿り着くことがないように。
そして、もう一度あの女性の警告を聞くことがないように、慎重に日々を過ごしている。